その人について語るのではなく、その人に向かって言いなさい。

エサレン(R)ボディワーク資格認定コース第11期・パート1。エサレン研究所のブリィータ・オストロムが来日している。

11期のパート1、明日を残すのみになった。今日のグループ・プロセスで、ブリィータは、繰り返し、「その人について語るのではなく(do not talk about her)、その人に向かって言いなさい(talk to her)」とグループに促したが、私は、いまひとつ、グループのメンバーがそれを理解できているように感じなかった。そして気をもんだ。

「その人について語るのではなく(do not talk about her)、その人に向かって言いなさい(talk to her)」は、ゲシュタルト・プラクティスでは基本的なアイデアなのだが、全般的に認定コースのグループ・プロセスの中ではなかなか伝わらないことの1つ かもしれない。もっとも認定コースのメンバーは、エサレン(R)ボディワークの手技を学びに来ているのであって、ある意味こういった心理面についてのアプ ローチについて、「あれっ?、何言ってるんだろう?」という印象をもつこともあるように思う。仕方がないという面もあるのだが、もう少し、ここのところ が、明確に伝わればなーとも思ってきた。近年では、エサレンのゲシュタルト・プラクティスの重要なティーチャーのクリス・プライスを日本に招いて、ワーク ショップを開催しているグループがあって、認定プラクティショナーたちがゲシュタルト・プラクティスを学ぶようになっってきたのがうれしい。そういう意味 では、エサレン(R)ボディワークの根底にある哲学が理解されやすくなってきているのかもしれないが、それでも尚かつ、グループ・プロセスの難しさ、ダイ ナミズムをまたまた感じた一日だった。

そして、私にとって今日の体験が重要だったのは、ある過去の体験を思い出したからだ。グループの中にいながら、私は「似たような状況を、以前、体験したよ なー」と思い出していて、グループメンバーが「その人について語る」ことについて、「これってフェアじゃないんじゃないの」と気をもんだのだ。

そのとき彼女は私についてこう言ったのだった。「あなたがここに居るだけで、私は萎縮してしまう、あなたにそれをわかってほしい。」それは、あるカウンセ リングを学ぶグループの、シェアリングの時間だった。私は、自分がそのグループの中でかなりうまく行っていて、みなの信頼もあり、私もグループの1人1人 を信頼していると感じていた。が、彼女がそう言ったとき、すべてががらがらと崩れた感じだった。「私の何が悪かったのだろう?」「私はどのように振舞えば いいのだろう?」「私は自分で気づかず、たくさんの人を傷つけてきたのだろうか」などなど、あるとあらゆる自分を責める言葉を私は自分で自分に浴びせたの だった。

結果として、私はそれ以降、そのグループに2度と足を運ぶことはなかった。頭では、またその場に行って、改めた自分をグループの前に示すべきだ、と考えた が、身体は、それに抵抗した。足が向かない。行かない自分が意気地なしのようにも思えたが、その場に行って、卑屈に笑ってしまう自分も想像できた。どんな 弁明も、またそれが新たな攻撃の餌食になるような気がした。

今日、思い返すとあれから10年の歳月が経っていた。

彼女が私に向かって言うべきだった言葉は、

「私はもっとあなたに近づきたいけれど、でもどうしたらいいかわからないし、こわいの。」

だったのではないのか。
そう思い至ったとき、私の気持ちは10年の時空を越えて癒されていた。心の中で、何度も、そのことばを繰り返していた。そしてこんなふうに言ってみた。

「私もあなたにもっと近づきたかったよ。」

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