2007年12月25日火曜日

エサレン(R)ボディワーク資格認定コース13期中止の決断

編カンパニーとして行う最後のエサレン(R)ボディワーク資格認定コース、1月19日(土)からスタート予定の第13期を中止しました。

そのことについて、この場を借りて経緯などを明記しておきたいと思います。
実は1ヵ月前の12月19日の段階で参加者が8名でした。非常に難しい決断で、ぎりぎりのお申し込みも毎回1人か2人あるので、10人になるかもしれな い、とも思えましたが、確実ではないわけです。10名の参加者があることがエサレン側の履行最小人数条件でもあるのですが、何よりも例えぎりぎり10人に なっても編カンパニーとしては、財政的負担だけではなく、精神的負担というか、が大きすぎるように感じられました。

もともと、鎌田麻莉がいいだしっぺで、エサレン(R)ボディワーク資格認定コースを始めたのですが、いや正確には、エサレン(R)マッサージの講師であ り、1990年、私のトレーニングの先生だったディーン・マースン氏が日本での資格認定コースをやりたいとのたっての希望があったのでした。私は果たして 米国の認定資格がどのように日本の人たちの現実の役に立つのか、よく分からないと感じながらも、そしてその当時、プラクティショナーとしては経験を若干積 んではいたものの、日本での実践の難しさをも感じており、サロン経営や研修・学校等の運営の経験もなく、若く(笑)、資格コースなるような大掛かりなもの を果たして自分が主催していいものなのか、できるものなのか、自問自答せざるを得ませんでした。だけど、自分の内なる思い、「エサレンのスピリットを、エ サレンのアプローチを、日本の人たちに伝えたい」という熱い思いに突き動かされるようして、そしてそれを伝えることができるかどうかにある意味では自分の 存在意義を賭けて、スタートしたのでした。

このように考えてみるとこの10年間、すばらしい体験をさせていただいたと心から感じます。200人を超える方がたの学びの場に立会い、その変容に驚かさ れながら、また、ディーン・マースン氏、ブリィータ・オストロム氏、オリバー・バーレー氏、パブロ・ピエーカー氏、シャー・ピアス氏と5人の個性豊かなエ サレン講師と多くの時間を過ごしました。また、他にも何人ものエサレン講師との出会いがありました。

そして、コースを継続していくために、ビジネスとは一体何なのか、どのように作って行くべきなのか、たいへん厳しい経験を積みました。

私のもう1人の先生だった、(彼女は実にこの18年間という長い時間、ずっと私の先生であり、その人間的な一面をいつでも惜しみなく私に注ぎ続けてくれ、私の成長についていつでも責任をもっています)ブリィータが、こんなふうに言っています。

「これは(エサレン・ボディワークは)、アメリカの文化ではないわ。人類に与えられたギフトなのよ」

アメリカの文化ではないのなら、人類への普遍的なギフトなら、エサレンはもっと広くそして深く伝えて行かなくてはならないものです。

私は、10年の経験の中から、トレーニングを終えてエサレンプラクティショナーとして残りの人生を生きようと決心したときから数えると18年の経験から、 エサレンのスピリットとアプローチをこれ以上どんぴしゃりの日本語はないだろう、という言葉に置き換えることができました。それが「心で触れる」です。

また、私にとってのこだわりは、「ボディワーク」ということでした。ボディワークとは、私なりにその意味合いを日本語訳すると「内なる対話」そして、「身 体との対話」なのです。エサレンマッサージ資格認定コースを名乗っていた当初、受講生のみんなからある提案がありました。「マッサージ」と言う呼び名はお かしい。おかしいというよりも、日本の法律的な面から言ってもマッサージという呼び名では困る。というのです。そこで、ディーン・マースン氏を通してエサ レン側と交渉してもらい、エサレンボディワークと名乗ることにしました。エサレンボディワークとは、私の、そして受講してくださったみなさんのそして編カ ンパニーのオリジナルなのだと思います。

はたまた、日本で生み出されたオリジナルの呼び名だということを白状しておきます。

そして、そこには秘められたオリジナルのコンセプトが隠されており、編カンパニーが震源地そのものです。だから私は、パイオニアとして立場をしっかりと取っていくつもりです。

折りしも、オイルトリートメントが好まれるようになってきています。日本中でもっともっとオイルトリートメントが求められるようになっていくでしょう。エ スティティック分野では、痩身やスキンケア、美顔美肌の目的で行われてきたオイルトリートメントが、アロマテラピーの影響を受けながら、「癒し」「リラク セーション」をもたらしてくれるトリートメンとして提供され始めています。また、整体やあんまマッサージなどのいわゆる治療目的の手技分野でも、いまや 「癒し」「リラクセーション」は大きな課題であるようです。

オイルを使うんだったら、もっとこんなふうにやれるし、そうすれば気持ちいいし、深くリラックスしてもらえるよ、と伝えていきたいと思っています。

気軽に。
普通のこととして。
誰でも。
病気予防の一貫として
内なる対話を深めていけるように。

中止だけど、始まりの始まりです。

1月20日から5泊6日の本格コースを始めます。

2007年8月13日月曜日

ジャガイモ堀りとセラピスト

帰国するとまず頭が痛いのが、畑が草ぼうぼうということ。←>>東京から花巻へという意味
この時期、一週間もほっとくとホントぼうぼうになってますから。

ぼうぼうの中に、ジャガイモが植わっているはずだった、と
ぼうぼうを分け入ったところ、ジャガイモの茎本体は
発見されず。みな草だけになっていた。
どこにいったー、ジャガイモよー、
ジャガイモさんは、暑いのきらいなので解けてしまったのか。
しかし、スコップを入れてみると、いましたー。

あまりにも暑いので、小1時間ほどで退散。
(日差しが痛い、もっと朝早くやらないと、、、)
3キロほどの収穫。3分の一くらい掘ったかな。

この暑いのに付き合わされたのは、やまゆりさんのセラピストの
山下でありました。(こーゆー農作業により、セラピストに必要な忍耐と筋力が身に付くであろう、と思う鎌田です。)

お盆に突入したというのに
畑を掘ったりしていてご先祖さんに申し訳ないですが。

みなさんは、お墓参りは済みましたか?
私は、昨日でした。
だんごを作ったり、お煮しめ作ったり、赤飯炊いたり、
定番の料理をします。もっとも、今年は夕方からは
やまゆりさんでのセッションもあったので、手間がかかる料理は割愛。

なす、とまと、とうもろこしは、とりあえず収穫できるレベルですな。


2007年7月7日土曜日

フェイス・ヒーリング講習・・・ハートが開くよ

たなばた祭りのこの日、TAKE IT EASY さんで
フェイス・ヒーリング講習を行いました。
遠くは鹿児島、北は山形から、8人の方々がいらしてくださいました。

こんなに遠くから来ていただけるなんて
想像もしていなかったので、感激です。

この講習、エサレンのスピリットを短期間で学べて、
しかもサロンメニューがしっかり身につけられるので
手前味噌ですが、いいぞ、と思ってます。
坂田佳子ちゃんの手技の姿がうつくしーです。

参加者の方がたも、実習をしながら、
「ふかーいところに行ってしまう」と言ってました。

本当に不思議なヒーリングです。
いろんな楽しみもあって。

タッチだけではなく、
香りや、ジェルの感触や、、、、
お肌がしっとりとするのもよいです。

たぶん、骨格や深部の筋に意識して触れることや
頭部頚部や手足を含めて行うところが何か不思議な感覚を
生み出すのでは、と思います。
エネルギーワークも重要なポイントで

ハートが開きます。

2007年4月5日木曜日

まきさん、エサレン、お世話になりました。

まきさんが亡くなった。
認定コースのみなさんにはおなじみの”やまゆりシスターズ”の一人、あの元気なまきさんだ。

まきさんに叱られた人もいるかもしれない。
ちゃきちゃきっとした物言いの人だった。

40年間、あの宿で働いていた。やまゆりの宿の現社長の
おしめを取り替えた、というつわものだ。社長を「おにーちゃん」と呼んでいたっけ。宿で働く前は、芸者さんをしていた。若いころはさぞきれいな人だったろう。まきさん、とは、芸者さんをやっていたときの名前らしい。みんながそう呼んでいた。

腰が痛いと言って、しばらく仕事を休んでいたらしい。やっぱり病院に行くということで、社長が病院に同行した。その病院で事切れた。心筋梗塞だったそうだ。

私が、まきさんに最後に会ったのは、やまゆりさんの温泉だった。セッションの合間に、内緒で温泉に浸かりに行くと、まきさんがいた。そのときも腰が痛いと 言っていたような気がする。まきさんは、盛大にからだを洗いながら、何やかやと私に話しかけた。私は湯船の中から、はぁーとか、ふーんとか適当な返事をし ていた。なんだか、やせたなーと思ってまきさんのからだを眺めていたことを今になって思い出した。あのときが最後だった。

73歳だったそうだ。

ご冥福をお祈りします。
エサレン、お世話になりました。