洗濯機。そして、釈迦
2008.04.05 Saturday
今朝、ご先祖さまへの感謝の気持ちがむくむくとわいてきて目が覚めた。すがすがしくもめづらしくもこの朝は、まずは仏壇に手を合わせたのだが、そのあと、洗濯機が壊れていることが判明した。修理のためにご近所の電気屋さんを呼ぶとさっそく飛んできてくれた。が、私の話を聞くか聞かないかのうちに「25年前のですよねぇ。部品もうないですねぇ」とさわやかに言う。さらに「からまん棒かー、なつかしいなー、これヒット商品でかなり売りましたよー」
このヒット商品だったという ”からまん棒” 付の全自動洗濯機は母が購入したものだ。25年前というと出始めでそれなりのお値段だったでしょうねぇと電 気屋さん。母は新し物好きだったから、いや、そのころといえば病気が進んで洗濯がしんどくなったのだと思う。思い切って購入したのだろう。母のことに思い を馳せた。
母は理容店を営んでいて、毎日店を閉めると大量のタオルを手で洗濯していた。そのうち2層式の洗濯機を購入したと思うのだが、やっぱり手で洗っていたように思う。昔の人は本当によく働いていたとつくづく思う。そんな母が、全自動洗濯機を大枚をはたいて買ったのだなー。
その洗濯機もとうとうご臨終となった。近頃は、心で触れるボディワークスクール開催の後片付けで、シーツやタオルやはては毛布まで、1日に何度も洗濯機を回すこともあったから、ご老体に鞭打つ形になって、死期を早めてしまったかもしれない。
からまん棒付全自動洗濯機は、ご臨終となるその瞬間まで黙々とこれっぽちの不平不満なく任務を果たしていたのだった。全然気付いていなかった。そんなに時を重ねていたなんて。
さてそんなこんなの感慨を抱きながら、午後からやまゆりさんへ行く。この週末は、山下の代替でサロン勤務なのだった。たまにサロンに入るとるんるん楽し い。午後6時ー8時は、お宿のお客様の食事時間となりサロンも自動的に休憩、食事ということでこのときとばかりに持参したお弁当を食べ、ささやかな読書の 楽しみを得る。瀬戸内寂聴さんの「釈迦」を文庫で読んでいた。
ブッダが、もうじき涅槃に入るという旅の途中、チュンダという鍛冶工の供養した食物にあたって猛烈な下血と下痢に見舞われたくだりだった。私は、父が2回 目に倒れたときの下血を思い出していた。それはそれは激しい下血だったので、私は、救急車の中で父の手を握りながらどんどん下がっていく血圧計の針を眺め ているばかりだった。その晩は一命を取り留めたものの、それからの父は病院のベッドで何ヶ月か壮絶な、としかいいようのない、闘病生活を送り亡くなった。 一度だけ、小康を得たときに家に戻って一泊し、家族と食事を共にした。初夏の風の気持ちいいときで、父は紺色の作務衣を着て縁側のイスに座り、家の前に広 がる畑と青々とした田んぼを飽かずに眺めていた。身体の中に残っている力がどのような感じなのか、試すようにしているようでもあった。また田畑を耕してや るぞという意欲がやせた背中からにじみ出ているかのようだった。
だけれども。チュンダに背負われたブッダほどやせてはいなかったと思えて、わらわらと涙が出てきて仕方がなかった。
寂聴さんの文章が美しく、情景がはっきりと脳裏に浮かぶようなそんな表現なのだった。慈悲の心ということがどういうことなのか、明確に理解したと思える、いままでは明確には分かっていなかったのだ。
渇愛に対して、女性2人の懺悔の章が興味深い。これに関してはのちのち時間をかけて考察したいと思う。
あとがきの横尾忠則さんの文章が支離滅裂でがっかり。というか芸術家だからそういうもんというか、許されるのであろう。そういう人なんだろうと納得したり。
ヒーリングルームのわずかな隙間の時間に、お弁当を食べながら文庫本を読みわらわらと泣き、次のセッションの準備のために鼻水をすすって泣き止むことにした。
今朝のあの感覚は、亡くなった父母からのメッセージだったのだろうか。
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