「返し」その意味と深み


私は、エサレンのアプローチを実践するにあたって、触れ手の身体感覚として、
もっとも重要なことは「寄りかかり」である、と考えるようになりました。

実際、私の実践の中で、それは、エサレンで始めてのトレーニングを受けた
1990年2月の時点ですでに自分の感覚として、
重要なものと認識していましたが、
つい最近まで、十分な「圧」を受け手に感じてもらうためにはそれが重要、
という認識でした。
しかし、先日の2泊3日リトリートを通じてその認識は、完璧に覆されました。

「圧」の問題ではない、このアプローチのもっとも根本的な質の問題だ。

と気づいたのです。この間、実に23年かかったという訳ですが、
このことを皆さんにシェアできることを喜びに感じます。

どうも一番重要と思われることを言語化できていないような気がするー
と長年のもどかしさから解放されてほんと、すっきりしました。
もっとすっきりするために、今この原稿を書いているというわけですが、、


「寄りかかり」、それは、言葉を変えていえば、
触れ手が自らの固有感覚(深部感覚、内側の感覚)を
十全に使って、受け手に触れる、ということなのですね。
その触れ手の「寄りかかり」に対して、受け手のからだは、「返し」として反応します。
私は、クラスの中では「返し」とか「戻り」などと、言っていますが。

受け手のからだに「返し」が起こるとき、受け手の固有感覚のとびらが開かれるのです。
それは、それまで、皮膚の外側に向けられていた意識が、皮膚の内側に向けられる瞬間と言ってよいでしょう。
普通、「意識を内側に向ける」ということは、ヨガや、他の身体メソッド、例えば、
アレクサンダーテクニークなどを通じては、
ある意味、鍛錬として意識的に行っていくものだと思うのですが、
心で触れるボディワークのセッションでは、それがごく自然に、
受け手の100パーセントの<受け身>と<受容>の中で起こるのです。
そして、それが、このアプローチの心地よさの核なのですね。

「心で触れる」の「心で」とはそういう意味なのです。

よく、「 心に 触れるボディワーク」という言葉に引かれました。

と言われることもあるのですが、
固有感覚を使う、という意味で、「心で」なんですね。
「心に」触れようとするわけではないのです。

あくまでも「からだ」に触れて、そのタッチにより
自然な形で、受け手の固有感覚を目覚めさせていくと
いうことが、エサレンアプローチの醍醐味なのだという認識で
私は、この23年間、実践を重ねてきましたが、
そのことと、「寄りかかり」は、つながったひとつのことだったのです。
これで、すべてのことが言語化できる気がします。


「寄りかかり」については、これまでのメルマガでも
何度も話題にしてきましたし、動画もみなさんに見てもらっていますね。

ここで、再度なぜ「寄りかかり」が重要かということを確認したいと思います。

この受け手のからだの「返し」を生みだすために「寄りかかる」のであって、
十分な「圧」を受け手のからだに与えるために重要なのではないのですね。
もちろん、十分な寄りかかりは、十分な圧を生み出しますが、それだけが
目的ではありません。

そういうふうに捉えてみると、「寄りかかり」には、場所と方向が
重要で、どこでもどの方向にでも触れ手が寄りかかりさえすればよいものでない、
ということになります。受け手にとってより自然な本来の「返し」が生じる
場所、方向に寄りかかっていく必要があります。

そこが初心者にとっては難しいところです。
私のDVDでは、そういうポイントをひとつひとつ詳しく解説していますから、
お持ちの方は、そういう視点でもう一度みていただけたら
うれしいです。

受講生の多くは、まず、「寄りかかり」の身体感覚を掴むのに苦労するようです。
なので、まず寄りかかることに必死になってしまうので、そのあとの
受け手の「返し」に添って、自身のからだをなめらかに引く動きに
気が回らないということになってしまうようです。ですが、この「返し」に
寄り添うために、「寄りかかる」のですから、ぜひともここは
忍耐強く自分のからだとつきあって、鍛錬してほしいところです。
おそらく、ここがもっとも練習の時間が必要なところになると思うのです。

これが自然にできるように鍛錬がすすむと、つなぎのストロークというものは
自然にその方向が定まります。初心者がよく、つなぎ方が分からないと言うのは
まさにこの「返し」を見ていない、触れていないからだと思いました。

受け手の「返し」に注目し、丁寧にそれに添っていくと、
その動きそのものが次の場所、次の方向へと触れ手を導いてくれるのです。
だから、ストロークはあれこれ考えなくても自然につながるのですが、
最初は、ティーチャーの動きをまねて、つなぎ方もまねていくしかありません。
その段階では、触れ手の動きはぎこちないものでしょうが、練習を積んで
そこから滑らかな動きへと自身のからだを調整していく、
まあ、自ずと足腰の筋力を養う事にはなるでしょう。
また、寄りかかりとは、グラウンディングとセンタリングしながら
触れていく事を短く端的に表現した言葉でもあります。

このからだの使い方を探求し、なめらかに自分のからだを動かして、触れていく
ことを練習するのは、忍耐をともなう作業ですが、トレーニングの最中の
当時の私にとっては楽しいものでもあり、熱中できることでもありました。

受講生をみているとやはり、クラスでの交換セッションは時間を意識しないほど
集中しており、興味をもって自分自身のからだの使い方に取り組んでいるようです。
この質のことには、何か人を熱中させるものが潜んでいるのでしょう。

私は、受講生にこんなふうに言う事があります。
「そこさぁ、<返し>があるでしょ、それをみて、それに添ってみて、、、」
「そこそこ、そこ、<返し>でしょ、もっとゆっくり手を離していかないと、、、」

受け手は、「返し」すなわち自身のからだの自然な微妙な動きに、
触れ手がけっしてじゃませず、尚かつ尊重して、
寄りかかりから継続して触れることで、
いままで無意識のうちに処理されていた自分自身のからだの内側の感覚を
新たに感じ、気づき、自らを解放するのです。
それは、からだの解放であり、感情の解放であり、エネルギーの解放であり、

それこそが、心で触れるボディワークがもたらすリラクセーションなのです。

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