忖度(そんたく)するからだ
からだというものは、忖度するものだよなーと思った。
忖度、という言葉は普段使わないから、
その言葉を聞いた時には、ちょっと新鮮だったし、
「誰かの気持ちを推測する」という意味合いではあるのだろうけど、
忖度、という難しい言葉を使うことで
状況が、なんとなくイメージしやすい、そういう効果があった
と思う。
「誰かの意向を汲んで、行動する」
ただ単に”気持ちを推測”するだけではなくて
誰かの意向を汲んで、何かしらの行動をする
忖度には、そこまで含まれているような気がする。
現に、今回、そのようなことを忖度、と言っている。
「意向」とは、
こうしたい、こうしてほしい、ああしてほしい、といったような
要望、考えだと思う。
ボディワーク的に捉えると
”誰かの意向を汲んで、行動する”際に必要なのは、
その意向が、本当のところ、
その誰かのものなのか、はたまた自分のものなのか
確認することだろう。
確認するには、その意向を持つと思われる本人に
言葉で、そのような意向はありますか?
と直接聞く以外にない。
そしてさらに、
「あなたのその意向に沿って
私は、このように行動するつもりですが、
それでいいでしょうか?」
と確認する必要もある。
私の経験からすると
実際に直接確認してみると
意外と
その本人はそんなことこれぽっちも思っていなかったりする。笑
また、その本人にその意向はあっても、
それが”私”の行動と結びついていない場合もある。
あなたがそういう行動するのを私は望んでいない
というか、考えたことすらない、という場合もある。
ああ、なるほどね。
という具合だ。
どうしてそういう忖度したの?
と自身に問うと
それは、自分の考えだった、というオチになることがある。
なんだ、誰か他の人の意向に従ったつもりだったけど、
実は自分が、そう考えていた、だけだった。
と気づくのだ。
他者と関わりを持っていく時、
最終的に、言葉で確認する、ということは
重要なんだなーと思う。
あの人は、こういうふうに思っている、
とか、自分にこうして欲しいと思っている、
だから、自分はこうする
というのは、十中八九、嘘っぱちなんだよね。
そういう嘘っぱちに基づいて思考し行動するから
人間関係がややこしくなり、あるいはがんじがらめになり
疲弊する。
あるいは、事がこじれる。
私の経験によると、
筋緊張のほとんどは、そうした勝手な”忖度”から生じている、
と理解している。
そして、その勝手な忖度は時により場合により
便利でスムースな人間関係を築く。
が、一方、人をがんじがらめにしていく
ボディワークというのは、
そうした勝手な忖度=筋緊張から
自由になることなんだろうなー
(そして、自由とは、時々恐れと共にあるものだ。)
ボディワークとは、
自由になることを手助けすること、
リラックス、とは自由になること。
いずれ、
からだというものは、もともと勝手に忖度するものなのだ。
と思う。
そして今回、「なぜ、顔なの?」メール講座を書いていて
つくづくそれを思ったのだった。
その忖度は、神経生理パターンとして からだに組み込まれている。
というのが、私のポリヴェーガル理論(多層あるいは多重迷走神経論)の理解なのですよ。
つまり、こういうことなのだ。
他者とのコミュニュケーションは言葉以前に生じている。
多くの情報が、相手の表情や、首のかしげ方から、はたまた声のトーン
その気配、姿勢、から読み込まれ、
そこから何を読み取るか、どのように反応するか
神経生理パターンに組み込まれている。
これが、乳幼児期に起こることなんだね。
乳幼児期は特に、お世話してくれる”親密な他者”(多くは親)との絆が
その生存を左右する。
いや、絆なしには生きていけない。
だから、親密な関係性を維持するために忖度しまくるのだ。
そしてそれは、神経生理パターンとしてからだに刻み込まれる。
それがその人のコミュニケーションの基礎となる。
故に、
コミュケーションというものは、もともと忖度の塊なのだよ。
だからこそ、大切なのは
最終的には、理性と知性に基づいて、
たぶん、あとは倫理に基づいて(も加えよう)
”言葉”で確認することだ。
私とあなたは違う、というふうに。
だからこそ、あなたも私も唯一無二の大切だ、というふうに。
そして、”あなた”と違う”私”のからだが、
”ここ”にあり、
現実に何をどう感じているか、気づき、
それに基づいて”私”自身が、考え行動することだ、と思う。
(そして、お互いにそれを尊重し合う、というのが民主主義でありましょう)
ボディワークはそれを助ける。
というより
ボディワークするから、
勝手な、時には便利でもある”忖度”を超えて、
自らの真実に基づいた行動をとることができる
と私は考えているのでありました。
うむ。
からだファーストなのだった。
==
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忖度、という言葉は普段使わないから、
その言葉を聞いた時には、ちょっと新鮮だったし、
「誰かの気持ちを推測する」という意味合いではあるのだろうけど、
忖度、という難しい言葉を使うことで
状況が、なんとなくイメージしやすい、そういう効果があった
と思う。
「誰かの意向を汲んで、行動する」
ただ単に”気持ちを推測”するだけではなくて
誰かの意向を汲んで、何かしらの行動をする
忖度には、そこまで含まれているような気がする。
現に、今回、そのようなことを忖度、と言っている。
「意向」とは、
こうしたい、こうしてほしい、ああしてほしい、といったような
要望、考えだと思う。
ボディワーク的に捉えると
”誰かの意向を汲んで、行動する”際に必要なのは、
その意向が、本当のところ、
その誰かのものなのか、はたまた自分のものなのか
確認することだろう。
確認するには、その意向を持つと思われる本人に
言葉で、そのような意向はありますか?
と直接聞く以外にない。
そしてさらに、
「あなたのその意向に沿って
私は、このように行動するつもりですが、
それでいいでしょうか?」
と確認する必要もある。
私の経験からすると
実際に直接確認してみると
意外と
その本人はそんなことこれぽっちも思っていなかったりする。笑
また、その本人にその意向はあっても、
それが”私”の行動と結びついていない場合もある。
あなたがそういう行動するのを私は望んでいない
というか、考えたことすらない、という場合もある。
ああ、なるほどね。
という具合だ。
どうしてそういう忖度したの?
と自身に問うと
それは、自分の考えだった、というオチになることがある。
なんだ、誰か他の人の意向に従ったつもりだったけど、
実は自分が、そう考えていた、だけだった。
と気づくのだ。
他者と関わりを持っていく時、
最終的に、言葉で確認する、ということは
重要なんだなーと思う。
あの人は、こういうふうに思っている、
とか、自分にこうして欲しいと思っている、
だから、自分はこうする
というのは、十中八九、嘘っぱちなんだよね。
そういう嘘っぱちに基づいて思考し行動するから
人間関係がややこしくなり、あるいはがんじがらめになり
疲弊する。
あるいは、事がこじれる。
私の経験によると、
筋緊張のほとんどは、そうした勝手な”忖度”から生じている、
と理解している。
そして、その勝手な忖度は時により場合により
便利でスムースな人間関係を築く。
が、一方、人をがんじがらめにしていく
ボディワークというのは、
そうした勝手な忖度=筋緊張から
自由になることなんだろうなー
(そして、自由とは、時々恐れと共にあるものだ。)
ボディワークとは、
自由になることを手助けすること、
リラックス、とは自由になること。
いずれ、
からだというものは、もともと勝手に忖度するものなのだ。
と思う。
そして今回、「なぜ、顔なの?」メール講座を書いていて
つくづくそれを思ったのだった。
その忖度は、神経生理パターンとして からだに組み込まれている。
というのが、私のポリヴェーガル理論(多層あるいは多重迷走神経論)の理解なのですよ。
つまり、こういうことなのだ。
他者とのコミュニュケーションは言葉以前に生じている。
多くの情報が、相手の表情や、首のかしげ方から、はたまた声のトーン
その気配、姿勢、から読み込まれ、
そこから何を読み取るか、どのように反応するか
神経生理パターンに組み込まれている。
これが、乳幼児期に起こることなんだね。
乳幼児期は特に、お世話してくれる”親密な他者”(多くは親)との絆が
その生存を左右する。
いや、絆なしには生きていけない。
だから、親密な関係性を維持するために忖度しまくるのだ。
そしてそれは、神経生理パターンとしてからだに刻み込まれる。
それがその人のコミュニケーションの基礎となる。
故に、
コミュケーションというものは、もともと忖度の塊なのだよ。
だからこそ、大切なのは
最終的には、理性と知性に基づいて、
たぶん、あとは倫理に基づいて(も加えよう)
”言葉”で確認することだ。
私とあなたは違う、というふうに。
だからこそ、あなたも私も唯一無二の大切だ、というふうに。
そして、”あなた”と違う”私”のからだが、
”ここ”にあり、
現実に何をどう感じているか、気づき、
それに基づいて”私”自身が、考え行動することだ、と思う。
(そして、お互いにそれを尊重し合う、というのが民主主義でありましょう)
ボディワークはそれを助ける。
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