2006年12月5日火曜日

前面、大腿部

エサレンボディワーク資格コースパート2最後の1日。

昨日の復習。

大腿四頭筋
  大腿直筋
  外側広筋
  中間広筋
  内側広筋

腸ケイ靭帯

本日は、フルボディの交換を行っております。
そして、パーティー。 ↓歌うオリバー

歌うオリバー

2006年12月4日月曜日

前面、上半身。

エサレンボディワーク資格コース11期パート2進行中

昨日の復習です;

後頭骨、後頭下筋

大胸筋、三角筋、上腕2頭筋、上腕3頭筋、
ランドマークは、烏口突起。

腹直筋、腸腰筋(→大腰筋)
ランドマークは、腸骨。

筋肉の羅列になってしまっているけれど、
どんなふうに触れていくか、想像してみてもらえると
うれしいです。

今日は、下肢の前面をやり、午後は前面の復習、練習の時間

ではでは

2006年12月1日金曜日

背面、進行中。。。

エサレンボディワーク資格コース11期パート2進行中。

昨日は、
脊柱起立筋
腸腰靭帯
腰方形筋
梨状筋 (大殿筋、中殿筋、小殿筋)

ランドマークは、腸骨、仙骨、大転子


エサレンボディワーク資格認定コースパート2進行中。

昨日は、

大腿二頭筋
半膜様筋
半腱様筋
ヒ腹筋
ヒラメ筋
アキレス腱

ランドマークは、坐骨。

2006年11月30日木曜日

肩のディテール

認定コースパート2進行中。

肩の構造は、結構複雑なのでみな四苦八苦している。
でも、おもしろいよね?!

昨日のディテールワークは下記の骨格筋に働きかけるものでした;
肩甲挙筋
棘下筋
僧帽筋
小円筋

ランドマークは、肩甲棘 ですね。

ポイントは、正確にその筋肉を認識すること、かな。

2006年10月3日火曜日

その人について語るのではなく、その人に向かって言いなさい。

エサレン(R)ボディワーク資格認定コース第11期・パート1。エサレン研究所のブリィータ・オストロムが来日している。

11期のパート1、明日を残すのみになった。今日のグループ・プロセスで、ブリィータは、繰り返し、「その人について語るのではなく(do not talk about her)、その人に向かって言いなさい(talk to her)」とグループに促したが、私は、いまひとつ、グループのメンバーがそれを理解できているように感じなかった。そして気をもんだ。

「その人について語るのではなく(do not talk about her)、その人に向かって言いなさい(talk to her)」は、ゲシュタルト・プラクティスでは基本的なアイデアなのだが、全般的に認定コースのグループ・プロセスの中ではなかなか伝わらないことの1つ かもしれない。もっとも認定コースのメンバーは、エサレン(R)ボディワークの手技を学びに来ているのであって、ある意味こういった心理面についてのアプ ローチについて、「あれっ?、何言ってるんだろう?」という印象をもつこともあるように思う。仕方がないという面もあるのだが、もう少し、ここのところ が、明確に伝わればなーとも思ってきた。近年では、エサレンのゲシュタルト・プラクティスの重要なティーチャーのクリス・プライスを日本に招いて、ワーク ショップを開催しているグループがあって、認定プラクティショナーたちがゲシュタルト・プラクティスを学ぶようになっってきたのがうれしい。そういう意味 では、エサレン(R)ボディワークの根底にある哲学が理解されやすくなってきているのかもしれないが、それでも尚かつ、グループ・プロセスの難しさ、ダイ ナミズムをまたまた感じた一日だった。

そして、私にとって今日の体験が重要だったのは、ある過去の体験を思い出したからだ。グループの中にいながら、私は「似たような状況を、以前、体験したよ なー」と思い出していて、グループメンバーが「その人について語る」ことについて、「これってフェアじゃないんじゃないの」と気をもんだのだ。

そのとき彼女は私についてこう言ったのだった。「あなたがここに居るだけで、私は萎縮してしまう、あなたにそれをわかってほしい。」それは、あるカウンセ リングを学ぶグループの、シェアリングの時間だった。私は、自分がそのグループの中でかなりうまく行っていて、みなの信頼もあり、私もグループの1人1人 を信頼していると感じていた。が、彼女がそう言ったとき、すべてががらがらと崩れた感じだった。「私の何が悪かったのだろう?」「私はどのように振舞えば いいのだろう?」「私は自分で気づかず、たくさんの人を傷つけてきたのだろうか」などなど、あるとあらゆる自分を責める言葉を私は自分で自分に浴びせたの だった。

結果として、私はそれ以降、そのグループに2度と足を運ぶことはなかった。頭では、またその場に行って、改めた自分をグループの前に示すべきだ、と考えた が、身体は、それに抵抗した。足が向かない。行かない自分が意気地なしのようにも思えたが、その場に行って、卑屈に笑ってしまう自分も想像できた。どんな 弁明も、またそれが新たな攻撃の餌食になるような気がした。

今日、思い返すとあれから10年の歳月が経っていた。

彼女が私に向かって言うべきだった言葉は、

「私はもっとあなたに近づきたいけれど、でもどうしたらいいかわからないし、こわいの。」

だったのではないのか。
そう思い至ったとき、私の気持ちは10年の時空を越えて癒されていた。心の中で、何度も、そのことばを繰り返していた。そしてこんなふうに言ってみた。

「私もあなたにもっと近づきたかったよ。」

2006年9月26日火曜日

”感じる”ということ

エサレン(R)ボディワーク資格認定コース第11期・パート1のためにエサレン研究所から、ブリィータ・オストロムが来日している。

オープニングのクラスで、私にとってとても興味深いことを彼女は語ってくれた。それは、「”感じる”(=feeling)には2種類ある」ということ。
ひとつは、「感覚する」の感じるで、もうひとつは、「感情」「気持ちを感じる」ほうの感じる。感情について彼女はこう語った。
「いくつかの感覚がセットになると、私たちはそれを感情だと感じる」。例えば、胸の真ん中が詰まったような感じがして、肩と首の後ろのほうが、ガチガチに なったように感じ、お腹が冷えているように感じるとき、私たちはそれを「こわい」と表現するかもしれない。あるいは、目頭が熱くなり、あたまがぼーっとし て、手足がぽかぽかとしているとき、私たちはそれを「うれしい」と表現するかもしれない。たぶん、彼女の言っていることはそういうことなのではないかとと 思うのだけど。

ということは、と私は思った、私たちは、自分が感情を感じていると認識しているとき、もう少し詳しく身体の感覚に目を向けるといくつかの身体の感覚に気づくはず。

そういうことだよな、と自問自答した。
そのとき、身体の新たな豊かさが顕現するのではないだろうか。そして、私の感情は、身体を通して表現され解放される。

2006年9月24日日曜日

女たちよ、ハートを開け!

<女たちよ、ハートを開け!>
バストフリーに関する考察です

―私のおっぱいって大きいの?―
私は、実は40歳になるまでブラジャー着けてませんでした。どういうわけで着けはじめたかというと、ある資格コースで、みんなが、ブラジャーの着け方によ り、胸の大きさがこんなにも違うと大騒ぎしていて、「麻莉さんにも教えてあげるから~」と参加者のエステティシャンの方が言うわけです。えーあーうー、と いう感じで受け答えたのですが、やー、どうしよって感じだったのです。しかし、40歳を越えてから、なんだかおっぱいが下がってきたかも、と内心感じてい て、また、みんなのあまりの大騒ぎのしように引っ張られて、とうとう、どうでしょうか?と、温泉の脱衣場で自分のおっぱいをお見せしたのでした。と、 「わー、麻莉さん結構、胸大きいね、Cカップでいけるねぇ」とそのエステティシャンの方がおっしゃり、このようにブラをつけるとより胸が大きくなる、とい う着け方を伝授してもらったのでした。みなさん、このときの私の衝撃は測り知れない!と思ってください。



私は、その資格コースが終わって時間が出来ると、いそいそと近所のスーパーに行き、Cカップのブラジャーを買っていました。ブラジャーつけない歴それまで40年だったのですが、それ以来、ブラジャー着けてるわけです。
この経緯の中で、そっか、私は自分のおっぱいが、「ブラジャーを着けなくてはならないほどに大きくはない」と、思いこんでいた、と気づいたのでした。いっ たい、これは、どういう思い込みだったのかなーと思います。「私のおっぱいはブラジャーを着けなくてはならないほどに大きくはない」、この認識は、おそら くは10代のときに形作られたものと推測されます。その後、私のおっぱいは、様々な人生の荒波にもまれて、成長したのだが、認識そのものは、10代の時の まま温存されており、現実とかけ離れてしまったというわけでしょうか。
この場合、認識とは、脳の中で結ばれたイメージであるわけですが、このように脳の中のイメージというものは、現実とはズレルことが結構あるんですね。気づ きというものの一側面とは、こういう過去に結ばれ固定された脳の中のイメージと、体にもとづいた今この瞬間の感覚、との摺り合わせが起こるとき、なんで す。

―ブラジャーを着ける―
「そっか、おっきいのか」と素直に指摘と気づきにしたがった私は、ブラジャーを買い、そのブラを着けてみて、さらなる気づきに直面しました。それは「もし かして、私は自分の女性性を否定していたのかもしれない」というものです。実は、そのブラジャーを着けてみると、いやに自分の胸が大きすぎて見えるように 感じられて、どうにも恥ずかしい感じが湧き上がってくるわけです。「そんなにおっぱいを突き出さなくても~」と勝手に心の中の声が、自分をけん制するので す。するともう1人の自分が心の中で、「いんや、私はブラジャーを着けねばならぬほど、おっぱいが現に大きいのである、それはもうすでに他の人から指摘さ れていることでもあって、それを素直に誇示して何が悪い」、とお答えするわけですね。ブラを着け始めて、そういう葛藤をしばし味わって、うーむと内心う なっておりました。おっぱいが大きいかどうか、ということは、女性として自分を世間にどのように見せるのかということに深く関わるということを実感しまし た。私は、女性としての自分をどのように受け入れていくのか、あるいは見せたいのかという自分への問いに対して、「自分のおっぱいはブラジャーを着けるほ ど大きくはない」とさっさと結論をだして、よく考えもせず感じもせず、40歳まで生きてきたのかもしれないのでした。それはそれで、ある意味では、自分が 置かれた環境の中で、自身の内面のバランスを保っていくには必要な賢明な断定だったかも知れません。だけれども、そこには女性としての自分への否定感が巧 妙に隠されている感じがします。
そこで、40歳にして、この否定感を克服すべく、いきなり、ワイヤー入りのブラジャーを着け、胸が突き出す感じ、を味わうことと決断しました。が、結構、 ぐるじぐないですか? 息が、腹に入っていかない感じ。できるかぎり、締めつけないようにゆるくホックをかけても、時間がたつと、うーん、くるしいなーと 感じになります。
しかし、一度目覚めた“女性意識”は、徐々に育っていったようで、ワイヤーが入ってなくて、ラクで、でも、おっぱいがきれいに見えるブラジャーはないの か、といつでも探すことになりました。そこで今回、このバストフリーに出会いました。これこそ、私が探していたもの! というわけなのです。

―女が感じるべき圧迫感―
さて、私は、「自分のおっぱいは実は大きかったのだ、わはは」、と40歳にして始めてブラジャーを着ける日常を過ごし、その圧迫感に“おおー”と思いまし た。この“おおー”という感じは、圧迫感に対してというよりも、文明社会のほとんどの女性がブラジャーを着けているという現実を思い、それは、ほとんどの 女性がこの圧迫感に耐えているということを意味するんだなと思い至ったせいであります。その感覚はあまりにも日常となり、圧迫感として感じていないほどか もしれません。女性の呼吸が浅いことが多いのは、こういった社会的に暗に要求されることに耐えていることが多いからかなーと考察してみたりしたのでした。 耐えているという感覚そのものが、自分が女性であると実感する根拠になっているとしたら、ちょとさびしい。どうでしょうか? 
ところで、私はブラをつけていないときの感覚のほうが日常的であるので、ブラをつけない開放感というものを味わったことがありませんでした。ところが、ブ ラを着けてみるとブラを取ったときの開放感が、結構きもちいかった。もしかしたら、女たちはこの開放感を楽しんでいるのかもしれない、、、よくわかりませ んです。あと、胸に谷間のできることが結構、うれしかったりした自分もいる。事は、思うよりも複雑なんであるな、きっと。それで、いいや、追及しなくって もということになり、私はブラを着けたり外したり、着け忘れたりして、日々過ごしていたのでありました。
そこへ、バストフリー。ブラジャーを着けることが単に圧迫感に耐えることだけの問題ではなくて、リンパの流れを阻害して乳がん発生率が高くなるということ が科学的データで示されているそうです。自分の体を傷つけながら、女性として美の探究をするという人生の選択もあり。だけど、女たちよ、ハートを開け! 
ノーブラの開放感とは一味違った開放感を、バストフリーで味わってください。“耐えること”で女を実感しなくてもいい。おっぱいをもつ女の開放感とその美しさを楽しみながら、生きる選択もあり。
バストフリー S M L XL     ¥5,040 
注:残念ながら、編カンパニーは、現在バストフリーを販売しておりません。


* 追記その1 資格コースの中では、このようにクラス以外の場所で、重要な気づきに直面する場合もあります。これは、受講生に限ったことではなく、講師やコーディネータにも訪れます。
* 追記その2 鎌田麻莉の新たなご報告:胸を突き出すと腹の突き出しが目立たなくなるということに気づいています。(これがいいことか悪いことかは分かりませんが)

2006年9月23日土曜日

特殊なオイルを使いこなす

<amuニュースレター20号より。文・木内由詩> 2006'9/23 より転記

街中でリラクゼーションサロンや、ヒーリングスペースを開いていると様々なニーズのお客様がいらっしゃると思います。自分の心身の健康にさまざまな懸念を 抱く方々が、「もしかしたら、ここならば、」そういう思いでドアをノックしてくれるのだと思います。そういった方々に対して、医療や鍼灸指圧あんまなどの 専門的な治療や、福祉ケア、心理カウンセラーなどの紹介が必要な場合もあり、心身のリラクゼーションを目的としたオイルトリートメントを主体とするセラピ ストも、地域医療や福祉や他の分野のセラピストとの連携を考慮しながら、お客様のさまざまなニーズに応えていくという状況に直面せざるを得ません。また、 クライアントの方々に、健康に関わる自己管理のアイデアや、セルフケアの手法などを伝えていくことも、今後セラピストの仕事として求められてゆくのかもし れません。
こうした状況を踏まえて、編カンパニーが扱っている、オイルテラシリーズのオイルをご紹介したい と思います。このオイルシリーズは、エドガーケイシー療法やアーユルヴェーダ医学を基にブレンドされたオイルで、全身のトリートメントに使うにはかなり割 高なものもありますが、特殊なニーズのあるお客様に使うと、大きな効果の期待できるオイルです。これらのオイルは、自分ではマッサージはしないけど、セル フケアの一環として、痛みや気になる部分に自分で塗るという使い方も出来、つらい問題を抱えているクライアントさんに「ご自宅で使ってみたら」と提案する こともできます。
普段のトリートメントには、格安な編サロンシリーズのオイルを。しかし、ひとたび難しい状況を抱えたクライアントさんがいらっしゃれば、オイルテラシリーズのオイルを使ってみるというのもセラピストのワン・ステップ・アップといえると思います。

さて、僕は、その昔、ラグビーをやっていて打撲による怪我が絶えず、一時は、ムチウチのような状態になって精神的にも落ち込んで、引きこもっていた時期も あるんですが、オイルテラのシリーズでかなり助けられました。僕が使ったのは、1#、2#、6#の3本。この3本について、まずは、僕の体験から使い方を 説明します。
1#は、香りの良いオイルで、神経が立っているときに幾度となくこのオイルの香に助けられました。ラベンダーとオリーブの香がとても心地よいオイルです。 使い方は、自分の体にくまなくすり込みように塗っていくのですが、気になるところ、オイルをよく吸い込む処へ擦り込んでいくように使います。腰や肩、首筋 などは、待っていましたとばかりどんどん吸い込んでいきます。塗りながら、ここがもっと欲しがっている、ここがさび付いている、などと感じるようになり、 自分の体が良く分かってきて楽しくなったものでした。そして使い続けていくうちに、徐々に自分の体がきめ細かくなってくるのに気付きます。余分なものが取 れ、すっきりしてくるし、張りもでてきます。
2#は、松葉油が入った、関節、神経痛など、とにかく痛みに良いオイルです。塗るとスーと少し涼しくなります。膝の痛みや神経系のバランスを崩していると きに良いオイルです。松の香でスカッとしてリセットさせる感じです。痛い膝や首にすり込む、そして背骨に沿ってすり込んで行きます、胸の前、胸骨あたりに 塗るのも気持ち良いです。呼吸器にも良いようです。塗ってもらうと逆立っていた神経が落ちついていく感じがします。木の成分で自分がまっすぐに、落ち着い た感じになってきます。呼吸が深くなってきて今日は良く寝れそう、そんなオイルです。
6#は、ミルラ(没薬)独特の強い樹脂の香りがします。筋肉痛、筋違い、腰痛などの痛み、捻挫の腫れ、足のむくみに良いオイルです。とにかく強烈です。鬱 血している所に働きかけるようです。痛いところ、腫れているところに擦り込みます。だんだん、しっかりと強く擦り込んでいくのが良いようです。塗っている だけで熱くなってきます。ドライブがあり存在感のあるオイルで、お願いミルラ!!という感じです。1本持っていると、とても心強いオイル。入浴後の毛穴が 開いている時がより効果的です。

是非、オイルテラシリーズのオイルを使いこなしてみてください!
(amuニュースレター20号より。文・木内由詩)

2006年9月20日水曜日

セッションの合間に

やまゆりの宿・ヒーリングルームのセッションの合間に
プラクティショナーのまゆこさんに、オイルテラで、先月怪我をした左足首のケアをしてもらった。

オイルテラ#2(松葉油配合)と#6(ミルラ配合)を使う。
感なんだけど、熱があって腫れていたときは、#6だけのほうがよかった。でも今は、#2もほしい感じがする。なので、#2と#6を混ぜて使ってもらった。

腫れも痛みも引いて、松葉杖を使わないで歩けるようになって、逆にふくらはぎからアキレス腱、かかと、5指につながるラインがうまいことつながっていない感じが気になるようになってきた。
また、ひびの入った患部よりも、アキレス腱の外側に違和感を感じる。そう伝えると、彼女もその部分に違和感を感じるという。

丁寧にオイルテラを摺りこんでいく。筋を少し伸ばすような動きが気持ちいい。オイルテラの面白いところは、必要な部分では、オイルが吸われるように皮膚に浸透していく、ということ。
不思議と、足の甲の部分がオイルを吸うそうだ。また、患部の部分は、塗っても塗っても、2-3分後には、すっかりオイルが皮膚に浸透して、渇いたようになってしまう。

足首を触れてもらっているうちに、切ない感情がこみ上げてきているのに気が付いた。この足首は、幼いときから、繰り返し、くじいている。いつでも「大した ことはない、」と2・3日もすれば、何事もなかったかのようにしていたと思う。そのころ、抱えていたつらさ。家族の不安定さを一身に感じていた。身の置き 所のなさ。狭間にたつことの切なさ。力を抜いて横になり、それらを感じてみることにした。あのころは、感じることそのものが怖くて、何事もなかったかのよ うに、振る舞い、笑った。そして、繰り返し、同じ足首をくじいた。

今、足首を触れてもらいながら、あのころ感じることをやめてしまった感情を感じていた。まるで、大雨が降っているような水音が私のからだを包んでいた。
「雨が降っているの?」と聞くと、「川の音ですよ」という。

父も母もこの世を去り、私は今新しい家族の中にいて、愛するということも新しく学んでいることに気が付いた。

たった、15分ほどのセッションとセッションの合間の小さなセッション。

2006年9月19日火曜日

困難なセッション

今日のセッションはどうだったの?と聞くと、

「やればやるほど、(クライアントが)遠くにいってしまうような」という。

からだがガチガチで、テーブルにそっと腕をおいても
すこーし浮き上がっているのでがないかと思われるようなその人のからだ。つながりや呼吸や、リラックスが感じられない。
困難に感じるセッションだ。

だけれども、それは自分が感じている困難で、
クライアントが何を感じているかはわからない。

たぶん、と思う。
たぶん、その人は自分のからだのほんの少しの動きに初めて気づいたところかもしれないし、あなたのタッチに、誰かに触れられているときリラックスしてもいいのかな?と初めて感じたところかもしれない。

クラスルームを一歩出ると、
クラスルームで練習したことがひとつも役に立たない、と感じるセッションをやらなくてはいけないことがある。

2006年9月18日月曜日

「どんな人をも満足させるセッションって結局ないんでしょうか?」

あるプラクティショナーから、こんな質問を受けました。
「どんな人をも満足させるセッションって結局ないんでしょうか?」

こういう質問がでるのには訳があります。
それは、エサレン(R)ボディワークのアプローチでは、ストロークの順番やどういう手技をどのように行うのかは、施術する人の自由なので、行う人によって かなり違った内容になります。また行う人の色というか個性が強く出るので、仲間内でも「彼女のセッションはすばらしかった」という人がいるかと思えば、同 じ人から受けても「さっぱりよくなかった」というふうな感想を漏らす人もいて、はたしてよいセッションって何なんだろう?というわけです。

そのとき私はこんなふうに答えました。
「ふーむ、そのときあんまりよくなかったなって感じるセッションでも日が経って、今まで気づくことのなかったことに気づくこともあるからねぇ。。。もごもご」というものでしたが、あとで、はたと思いました。私はこうやっているなって。
それはこういうことです。
セッションの始まりに私はクライアントさんと、せいぜい長くても、5分くらいの「会話」をします。そのときが勝負です。
「この方は、どういう動機でどういう期待でここにいらしたのかな」ということを把握します。もし、納得できなければ、いくつか質問して、自分のためと、ク ライアントさんのためにも、動機と期待について、できるかぎり言語化してもらうようにします。(ときどき、そこが明確でないまま、セッションにいらっしゃ る方もいます、そういう方は、実は難しい。そういうケースに関してはのちに考察しましょう。)そして、それにたいして、果たして自分は何が提供できるか、 できないのか、検証します。心の中で。そして、場合によっては、「私はこういうことしかできませんが、それでよろしいですか?」と確認して、「ああ、いい ですよ」と言ってもらってから、セッションを始めます。

これは、結構大事かもしれません。

みんな、アセスメントセッションでは、完全無比のすんばらしいセッションを目指して、私のからだに触れてくださると思いますが、はっきり言って気持ちよく ありません(笑)。気持ちはとっても分かります。(泣)でも、私も1人のクライアントしてとして、個別で固有のからだをもった人として、扱われたいです。 いつでも。

お金をいただいて、セッションをするときには、特にここがポイントかと思います。「クライアントさんは何を求めて、わざわざここにいらしているのか」それ に対して、自分が出来ることはどういうことなのか、「明確」であることが、プロとしての仕事の始まりと言えるでしょう。「なんでもかんでもやれます、癒せ ます」ではなくて、「果たして自分は何が出来るのか、出来ないのか、自分に対してクリアな目を持ちつづける」のがプロとアマの仕事の違いという気持ちで、 日々過ごしています。

2006年9月17日日曜日

最初の言葉・・・2006年9月


全国のセラピストのみなさん、こんにちは


私は、エサレン(R)ボディワークというカリフォルニアで生まれた全身オイルトリートメントのトレーニングコースを1999年から主催して、セラピストの 養成に関わってきました。自らも1990年にカリフォルニアのエサレン研究所というところで、トレーニングを終了し、ニューヨーク市を皮切りにセラピスト として活動を続けてきました。自分では、「セラピスト」と呼ばれるより、「ボディワーカー」と呼ばれるほうがしっくりくるんですが、セラピストと呼ばれる ことが多くなりましたので、「セラピストでいいかっ」って思ってます。(笑)

毎年、30名を越える認定プラクティショナーの方たちとトレーニングを通してお付き合いしています。(エサレン(R)ボディワークでは、施術者のことを 「認定プラクティショナー」と呼びます。実践する人というような意味合いですね。)また、実践を始めた方々を訪ねて、セッションを受けたり(エサレン (R)ボディワークでは、施術というよりは、セッションという言葉を好んで使っています)、編カンパニーでセッションを行うことを希望する卒業生の方々の セッションを受けたり(これをアセスメントセッションと呼びます)、の日々を過ごしています。

その中から、セラピストのみなさんが日々活動していく中で、「これは押さえておいてもらいたい」、「知っておいてもらいたい」、「考えてもらいたい」また また、ショップのほうでは「これは便利」「使ってみてね」というようなことをブログを通して全国のセラピストのみなさんに伝えていこうと思います。

* 編カンパニーのショップは現在運営されていません。

セラピストの元気が「日本を支える、変える、未来をつくる」がモットー。

2006年3月4日土曜日

手が正中線を通る腕の動きその1

みなさんはコースの中でさまざまな腕の動きのワークを習い、
実践されていると思いますが、
「手が正中線を通る動き」についてここで詳述したいと思います。

少しづつ書いていきます。。
===

エサレンボディワークのコースの中では、「ロングストローク」の習得は重要なポイントと言えますが、

その他に特徴付けられることとして「動きを使う」ということがあげられます。コースの中でさまざまな「動き」がエサレン講師から示され、受講者は、それら をなぞるように実習していきます。そうした動きを適宜セッションの中に組み入れて行くことで、受け手側にとっては深部のと言いますか、いままで意識するこ との少なかった身体感覚を捕まえていくことになります。

私がほとんどすべてのセッションに使う腕の動きとしては「手が正中線を通る腕の動き」があります。どうしてこの動きを多様するかというと、私にとってはそ の動きを行うことで、クライアントの肩関節の緩み加減、腕の使い方のクセ、また、肩甲骨周りの筋肉群の緊張具合特には菱形筋のどの部分に緊張があるか、等 を把握できるので使うことが多いのです。この動きは、肩関節のみならず、肘関節も含まれた複合された複雑な動きであり、ストレッチするための動きとは本質 的に異なった質の動きといえます。フェルデンクライス・メソッドで使われる動きだということです。

この動きのデモンストレーションが示された後の受講生の実習をみていると、ほとんどの方が違った動きをまずは行っていることに気が付きます。しかしなが ら、エサレン講師は、その動きを「これが正しい動きだ」と手直しすることは少ないのです。他人の身体を「動かす」ということ事態がたいへん新しい体験で あって、まずはそれに慣れてもらいたい、という気持ちもあるし、また、「動き」自体に間違った動きというものはありません。身体を「動かす」という行為に はそれ自体が複雑な多様性を含んだものなのだと思います。なので私も興味深く、受講生の「手が正中線を通る腕の動き」を観察してきました。そうしてかれこ れ10年近く観察することになりました。

さて、ここ2,3年私は自分でも1日講習ということで「心で触れるボディワーク」と銘打ったエサレンアプローチを教えるクラスを持つことになったとき、前 面のデモンストレーションではこの「手が正中線を通る腕の動き」を行うことを選びました。なぜなら、複雑な動きではあるけれど、エサレンのアプローチの考 え方や身体の見方を伝える動きとしては端的な感じがしたし、動き自体は、軽く動かすものなのでやってみてもらいやすいと思ったのでした。ところがこの動 き、意味合いを詳しく説明し、しかも受講生の目の前で現実にやってみせてもいるのですが、実際に実習してもらうとほとんどの方が、全く別の動きをするので した。

なぜなんだろう?

とそれまでの資格コースでの体験もあり、疑問に思ってきたのですね。
その疑問が、解剖学の受講生のレポートを拝見させていただいている間にちょっと腑に落ちてきたのです。(続く)