新型コロナウイルス感染拡大を巡ってー「土に還る」

私たちは、生物として
脆弱になっているのではないか、

と前回、100年前のスペイン風邪のパンデミックを振り返って
私は書いた。




そのとき、私の頭の中にあったのはレイチェル・カーソンの「沈黙の春」という本です。また、有吉佐和子の「複合汚染」。これらは、現代の私たちがいかに人工的に合成された化学物質に囲まれ、そして、残留農薬や食品添加物という形でそれらを体内に取り入れているのか、また生物濃縮、環境汚染について、警告した本でした。

「沈黙の春」は1960年代、「複合汚染」は70年代に、すでに刊行されていて大きな反響のあったものですが、私が実際に手に取って熱心に読んだのは、大学生の頃、80年代に入ってからのことです。私は、農学部農芸化学科の学生で、農薬や化学肥料の研究開発を志していました。そうした研究開発が、農業の置かれた状況をより近代的に合理的に改善するとぼんやりと考えていたからです。しかし、将来自分が関わることを志した世界というか業界の恐ろしさが、身にしみました。

で、結局、家庭の事情もあり、大学を出奔。バックパッカーで東南アジアをめぐり、その後、なぜかアメリカニューヨークへと渡り、なぜかエサレンでトレーニングを受け、ボディワークを日本に持ち帰る、という経緯を辿り今に至る。

というわけです。

もし、あの頃、もう少し情報があったなら、農学部の微生物学科(醸造学科だった?かもしれない)に行ってたなーと思うんですが、何せ、その頃、農学部農芸化学科はいわば農学部の中では花形のような印象で、遺伝子工学を新しく農業分野にも使っていこうというような時勢もあった時期かな、内容もあまりよく分からずに、農学部だったら農芸化学科でしょ、みたいな安易な選択であった、と思います。 (今はもう、農芸化学科、という科はないらしい。)

その頃、すでに耕運機やトラクターなどの機械化は進んでいて、農薬や化学肥料のおかげで、農業の生産性は上がり、除草剤は真夏の田んぼの草取り、のような重労働から女たちを解放し、農業の大規模化、効率化が進められていた真っ最中です。

農家の子弟であっても、学歴をつけ都会に出て”出世する”ことの方が価値があるというような時代の雰囲気があった。特に零細な農家の子供はね。

でも、父母や祖父母が、耕運機がまだない時代に、牛や馬にスキを牽かせて、並々ならない重労働で田んぼを耕し、コメを作り、飢えないよう、飢えさせないよう、食べさせてくれていたことを、カラダの奥深くの記憶として、私には刻まれているような気がします。


さて、自然を自分の(人間の)都合の良いようにだけコントロールする、というのは、思うよりずっと難しいのだなと思います。

マーティン・J・フレーザー「失われてゆく、我々の内なる細菌」を読みました。ちょっと分量のある本ですが、今の私の興味に十分答えてくれる内容で一気に読み、そして、上記のように思ったのです。この本は、米国の疾病予防センターの感染症予防専門家であった著者が、抗生物質の過剰使用が、どのような影響を子供たちの健康に及ぼすかを、長年の、豊富で謙虚な実証実験の積み重ねと考察によって明らかに示した本です。

ウイルスは、微生物とはいえ細菌ではないので、抗生物質は効かない。現時点の感染拡大や感染予防という観点からは、この本から直接的な情報は得られないけれど、この本は、抗生物質の発見とその使用により、20世紀の医療が、私たちの命をどれほど救ってくれたかを語ります。同時に、著者は、このように最初の章で語ります。

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しかし、過去数十年の医学の進歩の中で、「何か奇妙なこと」が起こっている気がする。いくつかの点で私たちは、かってより病気になりやすくなっているような気がする。新聞やテレビには、毎日様々な見出しが躍る。私たちは、「現代の疫病」に苦しむ。肥満、若年性糖尿病、喘息、花粉症、食物アレルギー、胃食道逆流症、がん、セリアック病、クローン病や潰瘍性大腸炎、自閉症、湿疹などである。
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製薬会社が、抗生剤を開発するときにその研究開発コストに見合う利益を稼ぐためには、様々な病原性の細菌に効くような抗生剤を開発する方が”経済的”だ。医師にとってもピンポイントでどの細菌だけを殺す、というような抗生剤(そうした抗生剤の開発は可能だが、コストがかかりすぎ、高額な製品が出来上がる)よりも、ざっくりこれを処方すればOKのような手頃な抗生剤の方が、いろいろな意味で使いやすい。

でもそれは、言ってみれば、テロ組織を壊滅させるために、民間人の住む市街地を空爆するようなもの。つまり、テロリストを殺すために、多くの善良な一般市民も一緒に殺してしまうようなものだ。

私たちのカラダには多様な微生物群が存在すると言われています。(その個体数は、人体を構成する細胞数よりはるかに多いらしい・・・)
そして、それらがどういう働きや意味があってそこにいるのか、しかも、どういうものたちー誰ーがいるのかさえ、実は一部しか分かっていない。想像するよりも多分、はるかに多様なのだ。全てを知ることができないくらいに。(全てを知ることに、必要十分な意味があるとも思わないけど。)

抗生剤の過剰な使用によって、人類が誕生してから連綿と一緒に体内で生存し、お互いに適応してきた多くの細菌が、その存在さえ知られないうちに絶滅しているのではないか。

多様性が極端に失なわれているのではないか。(著者の実証実験からはそのことが明らかにされている。)その多様性の喪失が、言葉を変えていえば、生物進化の過程で創生され蓄積されてきた、リスクマネジメントの戦略としての体内生態系のバランスの喪失が、上記のような現代の疫病を引き起こしている可能性がある。というのが、著書の主張です。

特に帝王切開によって生まれた子供が、母親の膣を通らないことで、その細菌群を受け継がないことや、生後一年未満の赤ちゃんに与えられる抗生剤の影響を著者は危惧しています。

もちろん、抗生剤の耐性菌とのいたちごっこはすでに知られているところです。

また、現代の畜産業が、多量の抗生剤の投与によって成り立つことや、実は抗生剤の投与が病気の予防ではなく、”太らせるため”に使用されること。その結果、私たちが食品に残留した微量な抗生剤を多年にわたって摂取することになる、健康への影響を懸念しています。



自然は、多くのシステムが複雑に絡み合って、そのバランスの上に成り立っている。それが地球の生態系であり、私たちのカラダもそうした生態系を内側に持っている。

そうした複雑に絡み合ったシステムを上手にコントロールするには、一体何が要となるのだろう。

これからの医療は、時間はかかるかもしれないけれど、そこに立って、新たに組み立てられていかないといけないのだろうと思います。
そしてまた、医療の利用者としての心構えとして、現代の、医療や医学の限界を学び、健康に生き死ぬための知恵を自ら発見し、実践し、次世代に伝えていかなくてはならないと思う。

それには、先人が長い時間をかけて作り上げた生活習慣や、食習慣を見直していくことが欠かせないんじゃないかなぁ。そこにあった、真の意味や価値を理解していく作業が求められると思う。そして、必要で重要と思われることは、取り戻していくこと。

そんなことを思うのだ。

待つことや見守ること、
育てること、
急かさないこと
そんな態度を醸成し、そして実践すること。

ゆったりセラピーの根幹には、それがあると思うのです。

それは、どんな人間であっても排除されない世の中へと向かう道であり、
グローバル化した経済システムの歯車から一歩外に出ることであり、
一緒に住んでいる動物や植物、微生物といった生命体をも含めた自然観を学び、
その中に生きるということでもある。

私は、それを「土に還る」、そんな風に感じるのです。

いずれ、いつかは必ず死ぬ、ということも含めて。


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