腕力の自由より、大地と呼応する自由を。カリフォルニアでゾーンを体験した私が花巻の納屋で見たもの

28歳、エサレン研究所のエサレンボディワークトレーニングで、
図らずも私は、ゾーン(フロー)を体験した。
これは触れる側として、そして触れられる側として両方からその体験をしたのです。

そして、それゆえにそこに生きる希望を見出し
施術者として生きてゆくことを決めた。

それ以来、ずーっと施術を生業としてきました。
米国で生きていくでつもりで受けたエサレン研究所のトレーニングでしたが、
トレーニングが終わる頃には、日本に帰ろう、日本でこのワークで生きていこう、
そんな気持ちになっていました。

とはいえ、カリフォルニアからニューヨークに戻って2年間
そこで、セラピストとしての経験を積みました。特に印象に残っているのは、ニューヨークに在住し、妊娠出産する日本人女性たちとの出会いです。
これに関しては、別に書くね。 



さて、日本へ帰ろう でした。

私にとっての日本は、東北の地でした。
でもね、東北っていうのはさ、なんか「アウエイ」なんだよね。日本神話です、ということで、古事記や日本書紀があるけど
は?東北ないじゃんって感じなんだよね。
東北・北海道は日本じゃなかったのか?みたいな。

記紀(古事記・日本書紀)が語る『光』の歴史から漏れた、暗がりに残された豊かな縄文の記憶は、どこにどのように語られているのだろう? 私が、学生時代に感じていた違和感はこれだったのかと思います。違和感の正体がひとつ明らかになった。

最初は、岩手県花巻市の実家の畑の脇の納屋の二階を改装して、
エサレンボディワーク(その当時はエサレンマッサージと呼んでいたけど)の
施術を始めました。当時は、まだアロマセラピーも入ってきてなくて、
オイルトリートメント自体が、まれ。
しかも、花巻の田舎の人々は、多分、今よりずっとゆったり生きていて
リラクゼーションと言ってもさ、は?なにそれみたいな感じだよね。

ということで鳴かず飛ばず、何人かの熱烈なお客さんには出会えたけど
それで食べていくには、なんとも。

悶々としていたけど、エサレンを日本に広めたいなら
東京に拠点を持たないと、と助言してくれた人がいました。
そして、さまざまな方々の助けを借りて東京で施術をする場所を得ることになった。

最初は、南新宿の大きなマンションの一室で、次は、
夏目坂の路地裏の一軒家の2階で(のちにその一軒家を借り切ることになりましたが)

そして9年が過ぎた。
あのまま東京でやっていたらどうなっていたか
と時々想像するけど、多分、腑抜けになっていた、と思う。

どういうことか、というと私の魂が、東北に帰りたいって叫ぶのよ。

東京の便利さや洗練(リベラル的なスマートさ)に身を置き続けることは
足裏が土を忘れ、重力を蔑ろにし、精神の軸を失ってしまうようなものではないか。

そして、私にとっての日本とは東北の地であり、
祖父母や父母が泥まみれになって働く大地が、私の日本なのだった。

それまでも、東京で施術をする場所を得たと言っても
東京に移住したのではなくて、月に2週間ほど東京に滞在して
施術してたのだけど、今流行りの2拠点生活ってやつ?

でもね、9年経つとその行ったり来たりにつくづく疲れたね。
いつ、私は東北に帰れるの?私の日本に戻れるの?って感じ。

もちろん、エサレン研究所から講師を招聘していたけれど
そのトレーニングは、花巻の温泉旅館で行っていました。
だって、私は、日本で「エサレン」をやりたかったのであり、 
私の日本は、東北の地だったのだから。

だけど、ここがディーン・マースン(エサレン講師)との分かれ目だった(笑)
彼は、こういう。
「何も、花巻でやらなくてもいいじゃん、もっと東京の近くでやれば、人も集まりやすいでしょ」って。

だからぁ。
私にとってのエサレンは、日本再興の旗印なのよ。
東北じゃなきゃダメなのよ。分かる?分かる?って感じ。

でも彼にとっては、まあ、その、エサレンという自らの持つ既得権益 の行使なんだよね。
分かりますよ。それも。

でもね、あーたもエサレンのスピリットを掲げるお方ならば、私の魂を感得してくれてもいいでしょって思ってたけど、無理でした。それが分かるのに9年かかったってこと。

 というわけで、私はディーンと袂を分ち、東京は引き上げ、花巻に一極集中し、花巻で施術し教えることを決断したの。

そして、それがゆったりセラピーの始まりです。もちろん、ゆったりセラピーが生まれるのはまだ少し先のことで、東日本大震災の後のことです。

1999年ー2007年まで、13回のエサレンボディワーク資格認定コースを花巻の
温泉旅館で、エサレン研究所から講師を招いてのトレーニングを主催しました。

この間、ブリィータ・オストロム、ディーン・マースン、シャー・ピアス、オリヴァー・バーレー、パブロ・ピエーカー等々、日本で”エサレンアプローチを統合的に伝えるためにはどういう人材を招くことが必要だろうと模索しながら、多数の講師を招きました。

そして、280人ほどの人たちが花巻でエサレンボディワークを学びました。中川れいこさん、近藤真紀子さん、佐々木恭子さん、清水知佳さんは、花巻でエサレンを学んだ方々です。またゆったりセラピー協会の理事、坂田佳子もその一人です。

こうやって書いてみると、花巻は、今日本でエサレンを掲げ活動する方々の故郷なのかもしれません。陸奥花巻の、畑の脇の納屋の二階が、始まりです。



心で触れるボディワーク本格コースの詳細はこちらです。
 

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エサレン研究所についてや、エサレンボディワークについて、そしてゆったりセラピーについては、できるかぎり分かりやすく網羅的に記述した本を出しているので興味のある方は、ぜひそちらを読んでいただければと思います。

書籍〜世界で愛される癒しのエサレンメソッド〜
心で触れるボディワーク 

 

<鎌田麻莉プロフィール>
エサレン®ボディワーク(全身オイルトリートメント)の日本の草分け的存在。

1987年単身米国に渡り、それから5年、ニューヨーク市に住む。

その間、気功、太極拳、ヨガ、チベット仏教に出会い、西洋文化の中で東洋の哲学と身体技法を学ぶこととなった。また、台湾人鍼医の日本人顧客向け通訳としてアシスタントを務め、同時に経絡・鍼灸・漢方処方を学ぶ。

その後、ナチュラル・ヒーリングを志して、1990年1月にカリフォルニア州エサレン研究所の集中トレーニングを終了、同年認定。ボディワーカーとしてのキャリアをスタートさせた。

1992年に帰国し、日本でのエサレンボディワークの実践をスタート。 
1999年-2007年、日本で初めてエサレン®ボディワーク資格認定コースを主宰。「エサレン」の名を日本に広めた。2008年より、心で触れるボディワークスクールを開校、自身で教え始める。

震災をきっかけとして2011年より、エサレンのアプローチを着衣のままで受けることのできる「ゆったり整体」の研究開発に着手、それまでの施術者としての経験を「ゆったりセラピー」としてまとめあげた。

2013年、社)ゆったりセラピー協会を設立し、セラピストの育成とともに認定講師の養成に注力し、エサレンメソッドを日本の風土と文化に見合う形での普及に取り組む。

和のカラダを提唱する。 現在、岩手県花巻市在住、温泉サロン・リラクセーション水心及び、町中サロン・ゆったりサロン絆で、ゆったり®️セラピスト続行中。スクールも花巻にある。
 

ゆったりセラピスト・鎌田麻莉のHP
カラダ・最後の砦を守り抜くために
https://kokorodefureru.com/

地球とつながり、心で触れる ゆったりセラピーの学校
https://esalenbodywork.jp/

社)ゆったりセラピー協会
https://bodyworkjp.org/

 

 

 



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ゆったりセラピーの学校メールレッスン
 

 

自身の内側の気づきを促す、
朝の5分を過ごしてみませんか。
ゆったりセラピーの始まりです。




 鎌田が行うゆったりセラピーのデモンストレーション 

<ゆったりセラピー施術の要オンライン講座>

 詳しくは、こちらから http://bodyworkjp.org/kaname-webseminar/   

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社)ゆったりセラピー協会の
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着衣のままで受けられるエサレンアプローチの全身ケア、ゆったり整体を中心に
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